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とぞ書きつくる書きつくる〈五字恐衍〉。かくあり續き絕えずはくれども、心のとくる夜なさに、荒れ勝りつゝ來ては氣色惡しければ、たふるゝ〈ひたぶるカ〉にたち山と立ち歸る時もあり。近き隣に心ばへ知れる人出づるに合せてかくいへり、

 「藻鹽やく烟の空に立ちぬるはふすべやしつるくゆる思ひに」

などとなり。さかしらするさ〈まカ〉でふすべかはして、この頃は殊に久しう見えず、たゞなりし折はさしもあらざりしを、かくころ〈二字心カ下間〉あか〈か恐衍〉くがれていかなるものとうか〈三字かそこイ〉にうち置きたるものと〈のカ〉見えぬ癖なむありける。かくて止みぬらむそのものと思ひ出づべきたよりだになくぞありけるかしと思ふに、十日ばかりありて文あり。なにくれといひて「帳の柱にゆひつけたりし小弓の矢取りて」とあれば、これぞありけるかしと思ひて解きおろして、

 「思ひ出づる時もあらじとおもへども〈後拾作みえつれど〉やといふにこそ驚かれぬる〈れカ〉

とてやりつ。かくて絕えたるほど我が家はうちより參りまかづる道にして〈もカ〉あれば、夜なか曉とうちしはぶきてうち渡るも聞かじといへどもうちとけたるいも寢られず。夜長うしてねぶる事なければ、さながらと見聞く心ちは何にかは似たる。今にいかで見さ〈きカ〉かずだにありにしがなと思ふに「昔すきごとせし人も今はおはせずとか」など人につきて聞えごつを聞くを、ものしうのみ覺ゆれば、日くれば〈か脫歟〉なしうのみ覺ゆ。子供あまたありと聞く所もむげに絕えぬと聞くあはれましていかばかりと思ひてとぶらふ。九月ばかりの事なりけり。あはれなど〈し脫歟〉けく書きて、