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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/35

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入りするを見つゝあるに、今は心安かるべき所へとてゐてわたす。とまる人まして心ぼそし。影も見えがたかべい事などまめやかに悲しうなりて、車寄するほどにかくいひやる、

 「などかゝる歎きはしげさまさりつゝ人のみかゝる宿となるらむ」

かへりごとは男ぞしたる、

 「思ふてふ我が言の葉をあだびとのしげきなげきにそへてうらむな」

などいひ置きて皆わたりぬ。思ひしもしるく只ひとり臥し起きず大ひ〈かイ〉たの世のうちあはぬことはなければ唯人の心の思はすなるを、我のみならず、年ごろの所にも絕えにたなりと聞きて、文など通ふ事ありければ五月三四日のほどにかくいひやりぬ、

 「底にさへよ〈かイ〉るといふなるまこも草いかなるさと〈はカ〉に根をとゞむらむ」〈道綱母〉

かへし、

 「まこも草刈るとは淀のさはなれや根をとゞむてふ澤はそことか」〈兼家〉

六月になりぬ。ついたちかけて長雨いたうす。見出して獨言に、

 「我が宿のなげきのしたは色ふかく〈秋またでイ〉うつろひにけりながめふるまに」

などいふほどに七月になりぬ。絕えぬと見ましかばかりに來るには勝りなましなど思ひ續くるをりに、物したる日あり。物もいはねばさうざうしげなり。前なる人ありし下葉の事を物の序にいひ出でたれば聞きてかくいふ、

 「をりならで色つきにけるもみぢ葉はときにあひてぞいろまさりける」