Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/37

提供:Wikisource
このページは校正済みです

 「吹く風につけてもとはむさゝがにの通ひしみちは空に絕ゆとも」。

かへり、殊にこまやかに、

 「色かはるこゝろと見ればつけてとふ風ゆゝしくも思ほゆるかな」

とぞある。かくて常にしもえいなな〈びカ〉はてゞ時々見えて冬にもなりぬ。臥し起きは唯幼き人ももて遊びて「いかにして網代の氷魚にこととはむ」とぞ心にもあらでうちいはるゝ。』年また越えて〈天德元年〉春にもなりぬ。この頃讀ん〈むカ〉とてもてありく文、取り忘れて〈を脫カ〉んなを取りにおこせたり。包みてやる紙に、

 「ふみおきしうらも心もあれたればあとをとゞめぬ千鳥なりけり〈道綱母〉

かへり事をさかしらに立ちかへり、

 「心あるとふみかへすとも濱千鳥うらにのみこそあとはとゞめゝ」〈兼家〉

つかひあれば、

 「濱千鳥あとのとまりを尋ぬとてゆくへも知らぬうらみをやせむ」

などいひつゝ夏にもなりぬ。この時の所に子生むべきほどになりてよきかたはこひて、一つ車に這ひ乘りて、ひときやう響き續きていと開きにくきまでのゝしりて「このかどの前よりしもわたるものか。我は我にもあらず、物だにいはねば見る人仕ふより始めて、いと胸痛きわざか。世に道しもこそはあれ」などいひ罵るを聞くに、た〈もカ〉し死ぬるものにもがなと思へどころ〈心カ〉にしかなはねば今よりのち猛くはあらずとも絕えて見えずだにあらむ、いみじう心そ