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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/31

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かくてあるやうありてしばし旅なる所にあるにものしてつとめて「今日だにのどかにと思ひつるを、びなげなりつれば。いかにぞ身には山がくれとのみなむ」とあるかへりごとに、たゞ、

 「思ほえぬかきはにをれは撫子のはなにぞつゆはたまらざりけり〈るカ〉

などいふ程に九月になりぬ。つごもりたがにしきりて二夜ばかり見えぬほど文ばかりあるかへりたごとに、

 「消えかへる露もまだひぬ釉の上に今朝はしぐるゝ空もわりなし」。

たちかへり、かへり事、

 「おもひやる心の空になりぬれば今朝〈は脫歟〉時雨ると見ゆるなるらむ」

とて、かへり事書きあへぬほどに見えたり。又ほどへて見えをこたるほど、雨など降りたる日ぐれに「來む」などやありけむ、

 「かしはぎの杜の下草くれごとになほたのめとやもるを見る見る」〈道綱母〉

かへり事はみづから來て紛はしつ。かくて十月になりぬ。こゝにものいみなるはどを心もとなげにいひつゝ、

 「なげきつゝかへす衣のつゆけきにいとゝ空さへしぐれ添ふらむ」〈兼家〉

かへし、いとふるめきたり。

 「思ひあらばひなましものをいかでかは返す衣のたれもぬるらむ」