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へたる文に心さかしらついたるやうに見えつるうさ〈うたイ〉になむねんじつれどいかなるにかあらむ、

 「しかの音も聞えぬ里に住みながらあやしく逢はぬ目〈夢カを脫歟〉もみるかな」

とあるかへりごと、

 「高砂のをのへわたりにすまふともしかさめぬべきめとは聞かぬを」。

げにあやしのことやとばかりなむ。又程經て、

 「あふ坂の關やなになり近けれど越えわびぬればなげきてぞ經る」

かへし、

 「越えわぶるあふ坂よりも音に聞くなこそを〈新千作は〉かたき關としらなむ」〈道綱母〉

などいふ。まめ文かよひかよひて、いかなるあしたにかありけむ、

 「夕ぐれの流れくるまをまつほどになみだおほゐの川とこそなれ」。

かへりごと、

 「思ふこと大井の川の夕ぐれはころも〈こゝろイ〉にもあらずなかれこそすれ」。

又三日ばかりのあしたに、

 「しのゝめにおきけるそらにおもほえで怪しく露と消えかへりつる」

かへし、

 「さだめなく消えかへりつる露よりもそらだのめするわれは何よ〈なカ〉り」