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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/300

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屋のいとふるくて瓦葺なればにやあらむ、暑さの世に知らねば、みすのとによるもふしたるも、ふるき所なればむかでといふもの日ひと日おちかゝり、蜂の巢のおほきにてつき集りたるなどいとおそろしき。殿上人日ごとに參り夜もゐ明し、物言ふを聞きて「秋ばかりにや太政官の地のいまやかうのにはとならむ事を」とずし出でたりし人こそをかしかりしか。秋になりたれどかたへ凉しからぬ風の所からなめり。さすがに蟲の聲などは聞えたり。八日ぞかへらせたまへば、七夕祭などにて例より近う見ゆるは、ほどのせばければなめり。

宰相中將たゞのぶ、のぶかたの中將と參り給へるに、人々出でゝ物などいふに、ついでもなく「あすはいかなる詩をか」といふに、いさゝか思ひめぐらし、とゞこほりもなく「人間の四月をこそは」といらへ給へるいみじうをかしくこそ。過ぎたることなれど心えていふはをかしき中にも女ばうなどこそさやうの物わすれはせね。男はさもあらず、詠みたる歌をだになまおぼえなるを誠にをかし。內なる人も外なる人心えずと思ひたるぞことわりなるや。

この三月三十日ほそどのゝ一の口に、殿上人あまた立てりしを、やうやうすべりうせなどしてたゞ頭中將、源中將、六位ひとりのこりて、よろづのこといひ、經よみ歌うたひなどするに明けはてぬなり。「歸りなむ」とて「露は別れの淚なるべし」といふことを、頭中將うち出し給へれば、源中將もろともにいとをかしうずんじたるに「いそぎたる七夕かな」といふを、いみじうねたがりて「曉の別れのすぢのふと覺えつるまゝにいひて、わびしうもあるわざかなとすべてこのわたりにてはかゝる事思ひまはさずいふは、口をしきぞかし」などいひてあまり