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「音にのみ聞けばかなしなほとゝぎすことかたらむと思ふこゝろあり」〈兼家〉
とばかりぞある。いかにかへり事はすべて〈くイ〉やあるなどさだむるほどに、かたゐなかなる人ありて猶とかしこさ〈まカ〉りてこら〈かゝカ〉すれば、
「かたらはむ人なきさとにほとゝぎすかひなかるべきこゑなふるしそ」〈道綱母著者〉。
これを初めにて、またまたもおこすれどかへりごともせざりければ、
「おぼつかな音なき瀧のみづなれやゆき〈くカ〉へも知らぬ瀨をぞ尋ぬる」
これを今これよりといひたれば知れたるやうなり。やがてかくぞある、
「人知れずいまやいまやと待つほどにかへりこぬこそ侘しかりけれ」
とありければ、例の人〈倫寧著者父〉「かしこし。をさをさしきやうにも聞えむこそよからめ」とて、さるべき人してあるべきに書かせてやりつ。それをしもまめやかにうち喜びて繁う通はす。又そへたる文見れば、
「濱千鳥あともなぎさにふみ見ればわれをこす波うちやけつらむ」。
この度も例のまめやかなるかへりごとする人あれば紛はしつ。又もあり。「まめやかなるやうにてあるもいと思ふやうなれど、このたびさへ無うばいとつらうもあるべきかな」などまめや〈か脫歟〉文のはしに書きて添へけり。
「いづれともわかぬ心はそへたれどこたびはさきに見ぬ人のがり」
とあれば例の紛はしつ。かたればまめなる事にて月日は過ぐしつ。秋つ方になりにけり。そ