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の御さうぞくの所の衆、春日祭の舍人ども、大饗の所のあゆみ、正月のくすりこ、卯杖の法師、五せちのこゝろみのみくしあげ、節會御ばいぜんの釆女、大饗の日の史生、七月のすまひ、雨降る日のいちめ笠、わたりするをりのかんどり。

     くるしげなるもの

夜泣といふもの〈わざイ〉するちごのめのと、思ふ人二人もちてこなたかなたに恨みふすべられたる男。こはきものゝけあづかりたる驗者、げんだに早くばよかるべきを、さしもなきをさすがに人わらはれにあらじと念ずるいとくるしげなり。わりなく物疑ひする男にいみじう思はれたる女。一の所に時めく人も得やすくはあらねどそれはよかめり。心いられしたる人。

     うらやましきもの

經など習ひていみじくたどたどしくて忘れがちにてかへすがへす同じ所を讀むに、法師はことわり、男も女もくるくるとやすらかに讀みたるこそ。あれがやうにいつの折とこそふと覺ゆれ。心ちなど煩ひてふしたるに、うち笑ひ物いひ思ふ事なげにて步みありく人こそいみじくうらやましけれ。稻荷に思ひおこして參りたるに中の御社のほどわりなく苦しきを、念じてのぼる程に、いさゝか苦しげもなく後れてくと見えたるものどもの、唯ゆきにさきだちて詣づるいとうらやまし。二月午の日の曉にいそぎしかど、坂のなからばかり步みしかば巳の時ばかりなりにけり。やうやう暑くさへなりてまことにわびしう、かゝらぬ人も世にあらむものを何しに詣でつらむとまで淚落ちてやすむに、三十餘りばかりなる女の壺さうぞく