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蜻蛉日記

蜻蛉日記卷上

かくありし時過ぎて〈村上御時天曆八年〉世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで世に經る人ありけり。かたちとても人にも似ずこ〈ころイ有〉たましひもあるにもあらで、かうものゝやうにもあらであるもことはりと思ひつゝ唯臥し起き明し暮すまゝに、世の中におほかた〈るイ〉ふる物語のはしなどを見れば世に多かるそらごとだにあり。人にもあらぬ身の上までう〈かイ〉き日記して珍しきさまにもありなむ。天下の人のしなたり〈がイ〉きやととはむためしにもせよかしと覺ゆるも過ぎにし年月ごろの事もおぼつかなかりければ、さてもありぬべき事なむ多かりける。さてあのけ〈二字ふなイ〉かりしすきごとゞもの、それはそれとしてかしはぎの木高きわたり〈藤原兼家〉よりかくいはせむと思ふ事ありけり。例の人はあないする便もしはなま女などしていはする事こそあれ。此は親〈藤原倫寧〉とおぼしき人にたはぶれにもまめやかにもほのめかしゝに、ひけきことし〈びなきことゝイ〉いひつぎをも知らずかほに、馬にはひ乘りたる人して打ちたゝかす。たれなどいはするはおぼつかなからず騷いたれば、もて煩ひ取り入れてもて騷ぐ。みな〈れカ〉ばか〈ふカ〉みなども例のやうにもあらず、いたらぬ所なしと聞きふるしたる手もあらじと覺ゆるさ〈まカ〉であしければ、いとぞあやしき。ありける事は、