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ば、「いづこよりぞ。けふあす御物忌なれば御しとみもまゐらぬぞ」とてしもは立てたるしとみのかみより取り入れて、「さなむとはきかせ奉らず。物忌なればえ見ず」とてかみについさして置きたるを、つとめて手洗ひてその卷數とこひて伏し拜みてあけたれば、くるみいろといふしきしのあつごえたるをあやしと見てあけもてゆけば、老法師のいみじげなるが手にて、
「これをだにかたみと思ふに都には葉がへやしつるしひしばの袖」
とかきたり。あさましくねたかりけるわざかな、たれがしたるにかあらむ、仁和寺の僧正〈寬朝〉のにやと思へどよもかゝることのたまはじ、なほたれならむ、藤大納言ぞかの院の別當におはせしかば、そのし給へる事なめり、これをうへの御まへ、宮などにとうきこしめさせばやと思ふにいと心もとなけれど、猶おそろしう言ひたる物忌をしはてむと念じくらして、まだつとめて藤大納言の御もとにこの御返しをしてさしおかせたればすなはち又返事しておかせ給へりけり。それを二つながら取りて急ぎ參りて「かゝる事なむ侍りし」とうへもおはします御まへにて語り申し給ふを、宮はいとつれなく御覽じて「藤大納言の手のさまにはあらで法師にこそあめれ」とのたまはすれば「さはこはたれがしわざにか。すきずきしき上達部、僧がうなどは誰かはある。それにやかれにや」などおぼめきゆかしがり給ふに、うへ「このわたりに見えしにこそはいとよく似ためれ」とうちほゝゑませ給ひて、今ひとすぢ御厨子のもとなりけるを取り出でさせたまへれば、「いであな心う。これおぼされ〈四字おほせられイ〉よ。あなかしらいた