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かな。おまへの竹ををりて歌よまむとしつるを、しきにまゐりて同じくは女房など呼び出でゝをと言ひてきつるを、くれ竹の名をいととくいはれていぬるこそをかしけれ。たれが敎をしりて人のなべて知るべくもあらぬ事をばいふぞ」などのたまへば、「竹の名とも知らぬものをなまねた〈めかイ〉しとや思しつらむ」といへば、「まことぞえ知らじ」などのたまふ。まめごとなど言ひ合せて居給へるに「この岩と稱す」といふ詩をずして又あつまり來たれば、「殿上にていひきしつるほいもなくてはなどかへり給ひぬるぞ。いとあやしくこそありつれ」とのたまへば、「さる事には何のいらへをかせむ。いとなかなかならむ。殿上にても言ひのゝしりつれば、うへ〈一條院〉も聞しめして興せさせ給ひつる」と語る。辨もろともにかへすがへす同じ事をずんじていとをかしがれば、人々出でゝ見る。とりどりに物ども言ひかはして、かへるとて、猶同じ事をもろこゑにずんじて、左衞門の陣に入るまで聞ゆ。つとめていととく少納言の命婦といふが御文まゐらせたるに、この事をけいしたれば、しもなるを召して、「さる事やありし」と問はせ給へば「知らず。何とも思はでいひ出で侍りしを行成の朝臣のとりなしたるにや侍らむ」と申せば、「とりなすとても」とうちゑませ給へり。たれが事をも殿上人譽めけりと聞かせ給ふをば、さ言はるゝ人をよろこばせ給ふもをかし。

ゑんゆう院の御はての年、皆人御服ぬぎなどしてあはれなる事をおほやけより始めて院の人も「花の衣に」などいひけむ、世の御事など思ひ出づるに、雨いたう降る日藤三位〈一條乳母〉の局にみのむしのやうなるわらはの大きなる木の白きにたて文をつけて「これ奉らむ」といひけれ