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まへにて「さて逢坂の歌はよみへされて返しもせずなりにたるいとわろし」と笑はせ給ふ。「さてその文は殿上人皆見てしは」とのたまへば、「まことに思しけりとはこれにてこそ知りぬれ。めでたき事など人のいひ傅へぬはかひなきわざぞかし。又見苦しければ御文はいみじく隱して人につゆ見せ侍らぬ。志のほどをくらぶるにひとしうこそは」といへば、「かう物思ひしりていふこそ猶人々には似ず思へど、思ひくまなくあしうしたりなど例の女のやうにいはむとこそ思ひつるに」とていみじう笑ひ給ふ。「こはなぞ。悅びをこそ聞えめ」などいふ。「まろが文をかくし給ひける又猶うれしきことなり。いかに心うくつらからまし。今より猶賴み聞えむ」などのたまひて、後に經房の中將、「頭辨はいみじうほめ給ふとは知りたりや。一日の文のついでにありし事など語り給ふ。思ふ人々のほめらるゝはいみじく嬉しく」などまめやかにのたまふもをかし。「うれしきことも二つにてこそ。かのほめ給ふなる〈らむイ〉に又思ふ人の中に侍りけるを」などいへば、「それはめづらしう今の事のやうにもよろこび給ふか」などのたまふ。

五月ばかりに月もなくいとくらき夜「女房やさぶらひ給ふ」とこゑごゑしていへば、「出でゝ見よ。例ならずいふは誰ぞ」と仰せらるれば、出でゝ、「こはたぞ。おどろおどろしうきはやかなるは」といふに、ものもいはでみすをもたげてそよろとさし入るゝはくれたけの枝なりけり。「おい、このきみにこそ」といひたるを聞きて、「いざや、これ殿上に行きて語らむ」とて中將、新中將、六位どもなどありけるはいぬ。頭辨はとまり給ひて、「あやしくいぬるものども