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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/274

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なにがしこそ唯今時の人などいふをほのきゝたる。人よりは少しにくしと思ふ人の、おしはかりごとうちし、すゞろなるものうらみしわれさかしがる。

     わびしげに見ゆるもの

六七月の午未の時ばかりにきたなげなる車にえせ牛かけてゆるがし行くもの。雨ふらぬ日はりむしろしたる車。降る日はりむしろせぬも。年老いたるかたゐ、いと寒きをりも暑きにも。げす女のなりあしきが子を負ひたる。ちひさき板屋の黑うきたなげなるが雨にぬれたる。雨のいたく降る日ちひさき馬に乘りてぜんくしたる人のかうぶりもひしげ、袍も下襲もひとつになりたる、いかにわびしからむと見えたり。夏はされどよし。

     あつげなるもの

隨身のをさの狩衣、のふの袈裟、でゐの少將。いみじく肥えたるひとのかみおほかる。きんの袋。六七月のずほふの阿ざ梨、日中の時など行ふ。又おなじころの銅の鍛冶。

     はづかしきもの

男の心のうち、いざとき〈いさぎよきイ〉よゐの僧。みそかぬすびとのさるべきくまにかくれ居て、いかに見るらむを誰かはしらむ、暗きまぎれにふところに物引き入るゝ人もあらむかし。それは同じ心にをかしとや思ふらむ。よゐの僧はいとはづかしきものなり。若き人の集りては人のうへをいひ笑ひ、そしり惡みもするを、つくづくと聞き集むる心のうちもはづかし。「あなうたてかしかまし」など御前近き人々の、物けしきばみいふを聞き入れずいひいひてのはてはう