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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/270

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は近く見えたるこそいとあはれなれ。秋の野。年うち過ぐしたる僧たちのおこなひしたる。荒れたる家にむぐらはひかゝり、蓬など高く生ひたる庭に月の隈なくあかき、いとあらうはあらぬ風の吹きたる。正月に寺にこもりたるはいみじく寒く雪がちに氷りたるこそをかしけれ。雨などの降りぬべき景色なるはいとわろし。はつせなどに詣でゝ局などするほどは、くれはしのもとに車引きよせて立てるに、おび〈をゐイ〉ばかりしたる若き法師ばらのあしだといふものをはきて、いさゝかつゝみ〈がイ〉もなくおりのぼるとて何ともなき經のはしうち讀み、俱舍のじゆを少しいひつゞけありくこそ所につけてをかしけれ。わがのぼるはいとあやふくかたはらによりて、高欄おさへてゆくものを、唯板敷などのやうに思ひたるもをかし。局したりなどいひてくつどももてきておろす、きぬかへさまに引きかへしなどしたるもあり。裳からぎぬなどこはごはしくさうぞきたるもあり。ふかぐつ、はうくわなどはきて廊のほどなどくつすり入るは、うちわたりめきて又をかし。うちとなどゆるされたる若き男ども家の子など又立ちつゞきて「そこもとはおちたる所に侍るめり。あがりたる」など敎へゆく。何物にかあらむ、いと近くさし步みさいだつものなどを「しばし、人のおはしますに、かくはまじらぬわざなり」などいふを、げにとて少し立ちおくるゝもあり。又聞きも入れず我まづとく佛の御まへにとゆくもあり。局にゆく程も人のゐなみたる前を通り行けばいとうたてあるに、犬ふせぎの中を見入れたる心ちいみじくたふとく、などて月頃もまうでず過しつらむとてまづ心もおこさる。みあかし常灯にはあらでうちに又人の奉りたる、おそろしきまでもえた