Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/255

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〈なほイ〉もなどせめ、出してこそ參るべけれ。むげにかくてはその人ならず」などいひてとりはやし「この下蕨手づから摘みつる」などいへば、「いかで女官などのやうにつきなみてはあらむ」などいへば、とりおろして「れいのはひぶしに習はせ給へるおまへたちなれば」とてとりおろしまかなひさわぐ程に「雨ふりぬべし」といへば、急ぎて車にのるに「さてこの歌はこゝにてこそよまめ」といへば「さばれ道にても」などいひて、卯の花いみじく咲きたるを折りつゝ車のすだれそばなどに長き枝をふきさしたれば、唯卯の花がさねをこゝに懸けたるやうにぞ見えける。供なるをのこどもゝいみじう笑ひつゝ網代をさへつきうがちつゝ「こゝまだしこゝまだし」とさし集むなり。人も逢はなむと思ふに更にあやしき法師あやしのいふかひなきもののみたまさかに見ゆるいと口をし。近う來ぬれば「さりともいとかうて止まむやは。この車のさまをだに人に語らせてこそ止まめ」とて、一條殿〈爲光邸〉のもとにとゞめて「侍從殿〈公信〉やおはします。郭公の聲聞きて今なむかへり侍る」といはせたる。つかひ「唯今まゐる。あが君あが君となむのたまへる。さぶらひにまひろげて指貫奉りつ」といふに、「待つべきにもあらず」とて走らせて土御門ざまへやらするに、いつのまにかさうぞくしつらむ、帶は道のまゝにゆひてしばしばと追ひくる。供に、さぶらひ、ざふしき、ものはかで走るめる。とくやれどいとゞいそがしくて、土御門にきつきぬるにぞあへぎまどひておはして、まづこの車のさまをいみじく笑ひ給ふ。「うつゝの人の乘りたるとなむ更に見えぬ。猶おりて見よ」など笑ひ給へば、供なりつる人どもゝ興じ笑ふ。「歌はいかにか。それ聞かむ」とのたまへば、「今おま