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七夕の渡る橋にはあらでにくき名ぞ聞えし。「そのわたりになむ日ごとに鳴く」と人のいへば「それはひぐらしなり」といらふる人もあり。そこへとて五日のあした宮づかさ車の事いひて、北の陣より「五月雨はとがめなきものぞ」とてさしよせて四人ばかりぞ乘りて行く。羡ましがりて「今一つして同じくは」などいへば「いな」と仰せらるれば、聞きも入れず、なさけなきさまにて行くに、うまばといふ所にて人多くさわぐ。「何事するぞ」と問へば「てつがひにてま弓射るなり。しばし御覽じておはしませ」とて車とゞめたり。「右近の中將皆つき給へる」といへど、さる人も見えず、六位などの立ちさまよへば、「ゆかしからぬことぞ。はやく過ぎよ」とて行きもて行けば、道も祭の頃思ひ出でられてをかし。かういふ所にはあきのぶの朝臣家あり。「そこもやがて見む」といひて車よせておりぬ。田舍だち事そぎて馬のかた書きたるさうじ、網代屛風、みくりのすだれなど、殊更に昔の事をうつし出でたり。屋のさまもはかなだちてはしちかくあさはかなれど〈らうめきてはしちかなれどイ〉をかしきにげにぞかしがましと思ふばかりに鳴きあひたる郭公の聲を、口をしう御前にきこしめさず、さばかり慕ひつる人々にもなど思ふ。「所につけてはかゝる事をなむ見るべき」とていねといふもの多くとり出でゝわかき女どもの穢げならぬそのわたりの家のむすめおんななどひきゐて來て、五六人してこかせ、見も知らぬくるべきもの二人してひかせて、歌うたはせなどするを、珍らしく笑ふに、郭公の歌よまむなどしつる忘れぬべし。からゑにあるやうなるかけばんなどして物くはせたるを、見いるゝ人なければ家あるじ「いとわろくひなびたり。かゝる所にきぬる人はようせずはあ