Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/253

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ちあかして、曉がたに唯いさゝか忘〈らイ有〉れて寢入りたるに、からすのいと近くかうと鳴くに、うち見あげたれば晝になりたるいとあさまし。てうばみにどう取られたる。むげに知らず見ずきかぬ事を人のさし對ひてあらがはすべくもなくいひたる。物うちこぼしたるもあさまし。のりゆみにわなゝくわなゝく久しうありてはづしたる矢のもてはなれてことかたへ行きたる。

     くちをしきもの

せちゑ佛名に雪ふらで雨のかきくらし降りたる。節會さるべきをりの御物いみにあたりたる。いとなみいつしかと思ひたる事の、さはる事出で來て俄にとまりたる。いみじうする人の子うまで年ごろ具したる。あそびをもし、見すべき事もあるに、かならずきなむと思ひて呼びに遣りつる人の「障る事ありて」などいひてこぬくちをし。男も女も宮仕へ所などに同じやうなる人もろともに寺へまうで、物へも行くにこのもしうこぼれ出でゝ用意はげしからず、あまり見ぐるしとも見つべくはあらぬに、さるべき人の馬にても車にても行きあひ見ずなりぬるいとくちをし。わびてはすきずきしからむげすなどにても、人に語りつべからむにてもがなと思ふもけしからぬなめりかし。

五月の御さうじの程、しきにおはしますにぬりごめの前、ふたまなる所を殊にしつらひしたれば、例ざまならぬもをかし。ついたちより雨がちにて曇りくらすつれづれなるを、「杜鵑の聲尋ねありかばや」といふを聞きて、われもわれもと出でたつ。賀茂の奧になにがしとかや、