Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/247

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ひ得たらむにもいひにくし。まして歌よむと知りたらむ人のおぼろげならざらむはいかでかと、つゝましきこそはわろけれ。「よむ人はさやはある。いとめでたからねどねたうとこそはいへ」とつまはじきをしてありくもいとをかしければ、

 「うす氷あわにむすべるひもなればかざす日かげにゆるぶばかりを〈ぞイ〉

と辨のおとゞといふに傅へさすれば、きえいりつゝえも言ひやらず。「などかなどか」と耳を傾ぶけてとふに、少しことどもりする人のいみじうつくろひ、めでたしと聞かせむと思ひければ、えもいひつゞけずなりぬるこそなかなか耻かくす心ちしてよかりしか。おりのぼる送りなどになやましといひ入れぬる人をも、のたまはせしかば、あるかぎりむれ立ちてごとにも似ず、あまりこそうるさげなめれ。まひ姬はすけまさのうまのかみのむすめ、染殿の式部卿の宮〈爲平親王〉の御弟の四の君の御はら十二にていとをかしげなり。はての夜もおひかづきいくもさわがず。やかてしゞう殿よりとほりて淸涼殿の前の東のすのこより、舞姬をさきにてうへの御局へ參りしほどをかしかりき。

細太刀の平緖つけて淸げなるをのこのもてわたるもいとなまめかし。紫の紙をつゝみてふんじて、房長き藤につけたるもいとをかし。

內裏は五節のほどこそすゞろにたゞならで見る人もをかしうおぼゆれ。とのもりづかさなどのいろいろの細工を、物いみのやうにいてさいしきつけたるなどもめづらしく見ゆ。淸凉殿のそり橋にもとゆひのむらご、いとけざやかにて出で居たるも、さまざまにつけてをかしう