Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/246

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宮の五せち出させ給ふに、かしづき十二人。ことゞころには、〈女御イ有〉御息所の人出すをば、わろき事にぞすると聞くに、いかにおぼすか、宮の女房を十人出させ給ふ。今二人は女院〈詮子〉、しげいしやの人、やがてはらからなりけり。辰の日の靑ずりの唐ぎぬ、かざみを着せ給へり。女房にだにかねてさしも知らせず、殿上人にはましていみじう隱して皆さうぞくしたちて、暗うなりたる程にもて來てきす。あかひもいみじう結び下げていみじくやうしたる白ききぬに、かたぎのかた繪にかきたる織物の唐ぎぬのうへに着たるは誠にめづらしき中にわらはは今少しなまめきたり。下づかへまでつゞき立ちて居たる、上達部、殿上人おどろき興じて、をみの女房とつけたり。

をみのきんだちはとに居て物言ひなどす。五せちの局を皆こぼちすかして、いとあやしくてあらするいとことやうなり。「その夜までは猶うるはしくこそあらめ」とのたまはせて、さも惑はさず。几帳どものほころびゆひつゝこぼれ出でたり。小兵衞といふがあかひもの解けたるを「これを結ばゞや」といへば、實方の中將よりてつくろふにたゞならず。

 「あしびきの山ゐの水はこほれるをいかなるひものとくるなるらむ」

といひかく。年わかき人のさるけせうの程なれば言ひにくきにやあらむ、返しもせず。そのかたはらなるおきな人たちもうち捨てつゝともかくも言はぬを、みやづかさなどは耳とゞめてきゝけるに久しくなりにけるかたはらいたさにことかたより入りて、女房のもとによりて「などかうはおはする」などぞさゝめくなるに、四人ばかりをへだてゝ居たれば、よく思