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といひつゝぞ都のちかづくを悅びつゝのぼる。かくのぼる人々のなかに京よりくだりし時に、皆人子どもなかりき。いたれりし國にてぞ子生める者どもありあへる。みな人船のとまる所に子を抱きつゝおりのりす。これを見て昔の子の母かなしきに堪へずして、

 「なかりしもありつゝ歸る人の子をありしもなくてくるが悲しさ」

といひてぞ泣きける。父もこれを聞きていかゞあらむ。かうやうの事ども歌もこのむとてあるにもあらざるべし。もろこしもこゝも思ふことに堪へぬ時のわざとか。こよひ宇土野といふ所にとまる。

十日、さはることありてのぼらず。

十一日、雨いさゝか降りてやみぬ。かくてさしのぼるに東のかたに山のよこをれるを見て人に問へば「八幡の宮」といふ。これを聞きてよろこびて人々をがみ奉る。山崎の橋見ゆ。嬉しきこと限りなし。こゝに相應寺のほとりに、しばし船をとゞめてとかく定むる事あり。この寺の岸のほとりに柳多くあり。ある人この柳のかげの川の底にうつれるを見てよめる歌、

 「さざれ浪よするあやをば靑柳のかげのいとして織るかとぞ見る」

十二日、山崎にとまれり。

十三日、なほ山崎に。

十四日、雨ふる。けふ車京へとりにやる。

十五日、今日車ゐてきたれり。船のむつかしさに船より人の家にうつる。この人の家よろこ