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これは病をすればよめるなるべし。ひとうたにことの飽かねば今ひとつ、

 「とくと思ふ船なやますは我がために水のこゝろのあさきなりけり〈るべしイ〉」。

この歌は、みやこ近くなりぬるよろこびに堪へずして言へるなるべし。淡路の御の歌におとれり。ねたき、いはざらましものをとくやしがるうちによるになりて寢にけり。

八日、なほ川のほとりになづみて、鳥養の御牧といふほとりにとまる。こよひ船君例の病起りていたく惱む。ある人あさらかなる物もてきたり。よねしてかへりごとす。男ども密にいふなり「いひぼしてもてる」とや。かうやうの事所々にあり。今日節みすればいをもちゐず。

九日、心もとなさに明けぬから船をひきつゝのぼれども川の水なければゐざりにのみゐざる。この間に和田の泊りのあかれのところといふ所あり。よねいをなどこへばおこなひ〈三字くりイ〉つ。かくて船ひきのぼるに渚の院といふ所を見つゝ行く。その院むかしを思ひやりて見れば、おもしろかりける所なり。しりへなる岡には松の木どもあり。中の庭には梅の花さけり。こゝに人々のいはく「これむかし名高く聞えたる所なり。故惟喬のみこのおほん供に故在原の業平の中將の「世の中に絕えて櫻のさかざらは春のこゝろはのどけからまし」といふ歌よめる所なりけり。今興ある人所に似たる歌よめり、

 「千代へたる松にはあれどいにしへの聲の寒さはかはらざりけり」。

又ある人のよめる、

 「君戀ひて世をふる宿のうめの花むかしの香にぞなほにほひける」