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べるやうにてあるじしたり。このあるじの又あるじのよきを見るに、うたておもほゆ。いろいろにかへりごとす。家の人のいで入りにくげならずゐやゝかなり。

十六日、けふのようさりつかた京へのぼるついでに見れば、山崎の小櫃の繪もまがりのおほちの形もかはらざりけり。「賣る人の心をぞ知らぬ」とぞいふなる。かくて京へ行くに島坂にて人あるじしたり。必ずしもあるまじきわざなり。立ちてゆきし時よりはくる時ぞ人はとかくありける。これにも〈それにもイ有〉かへりごとす。よるになして京にはいらむと思へば、急ぎしもせぬ程に月いでぬ。桂川月あかきにぞわたる。人々のいはく「この川飛鳥川にあらねば、淵瀨更にかはらざりけり」といひてある人のよめる歌、

 「ひさかたの月におひたるかつら川そこなる影もかはらざりけり」。

又ある人のいへる、

 「あまぐものはるかなりつる桂川そでをひでゝもわたりぬるかな」。

又ある人よめる、

 「桂川わがこゝろにもかよはねどおなじふかさはながるべらなり」。

みやこのうれしきあまりに歌もあまりぞおほかる。夜更けてくれば所々も見えず。京に入り立ちてうれし。家にいたりて門に入るに、月あかければいとよくありさま見ゆ。聞きしよりもましていふかひなくぞこぼれ破れたる。家を預けたりつる人の心も荒れたるなりけり。中垣こそあれ、ひとつ家のやうなればのぞみて預れるなり。さるはたよりごとに物も絕えず得