Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/239

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に少しちひさくなるやうなれど猶いと高くてあるに、晝つ方緣に人々出でゐなどしたるに、常陸の介出できたり。「などいと久しく見えざりつる」といへば、「なにか、いと心憂き事の侍りしかば」といふに、「いかに、何事ぞ」と問ふに、「猶かく思ひ侍りしなり」とてながやかによみ出づ、

 「うらやまし足もひかれずわたつうみのいかなるあまに物たまふらむ

となむ思ひ侍りし」といふをにくみ笑ひて、人の、目も見いれねば、雪の山にのぼりかゝづらひありきていぬるのちに、右近の內侍にかくなむと言ひやりたれば「などか人そへてこゝには賜はせざりし。かれがはしたなくて雪の山までかゝりつたひけむこそいと悲しけれ」とあるを、又わらふ。ゆき山はつれなくて年もかへりぬ。ついたちの日又雪多くふりたるを、うれしくも降り積みたるかなと思ふに「これはあいなし。初のをばおきて今のをばかき棄てよ」と仰せらる。うへにて局へいととうおるれば侍のをさなるもの、ゆのはの如くなるとのゐぎぬの袖の上に靑き紙の松につけたるをおきてわなゝき出でたり。「そはいづこのぞ」と問へば「齋院〈選子〉より」といふに、ふとめでたく覺えて取りて參りぬ。まだおほとのごもりたれば母屋にあたりたるみかうしおこなはむなど、かきよせて一人念じてあくる、いと重し。片つかたなければひしめくにおどろかせ給ひて「などさはする」との給はすれば「齋院〈選子〉より御文の候はむにはいかでか急ぎあけ侍らざらむ」と申すに「げにいととかりけり」とて起きさせ給へり。御文あけさせ給へれば、五寸ばかりなる卯槌二つを卯杖のさまにかしらつゝみなどし