Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/238

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す。「今日この山つくる人には祿賜はすべし。雪山に參らざらむ人には同じからずとゞめむ」などいへば、聞きつけたるはまどひまゐるもあり。里遠きはえ吿げやらず。作りはてつれば宮づかさ召してきぬ二ゆひとらせてえんに投げ出づるを、ひとつづゝとりによりて、をがみつゝ腰にさして皆まかでぬ。うへのきぬなど着たるはかたへさらで狩衣にてぞある。「これついまでありなむ」と人々の給はするに「十餘日はありなむ」唯この頃の程をある限り申せば「いかに」と問はせ給へば、「む月の十五日まで候ひなむ」と申すを、御前にもえさはあらじとおぼすめり。女房などはすべて「年の內つごもりまでもあらじ」とのみ申すに、餘り遠くも申してけるかな、げにえしもさはあらざらむ、ついたちなどぞ申すべかりけると下にはおもへど「さばれさまでなくと言ひそめてむことは」とてかたうあらがひつ。二十日のほどに雨など降れど消ゆべくもなし。たけぞ少しおとりもてゆく。「白山の觀音これきやさせ給ふな」と祈るも物ぐるほし。さてその山つくりたる日、式部のぞうたゞたか御使にて參りたれば、しとねさし出し、物などいふに「けふの雪山つくらせ給はぬ所なむなき。御前のつぼにも作らせ給へり。春宮〈三條院〉弘徽殿〈義子〉にもつくらせ給へり。京極殿〈道長〉にもつくらせ給へり」などいへば、

 「こゝにのみめづらしと見る雪の山ところどころにふりにけるかな」

とかたはらなる人していはすれば、たびたび傾ぶきて、「返しはえ仕うまつりけがさじ。あざれたり。みすの前にて人にをかたり侍らむ」とてたちにき。歌はいみじく好むと聞きしにあやし。御前にきこしめして「いみじくよくとぞ思ひつらむ」とぞのたまはする。つごもりがた