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たぶべき物たいまつりたべ」といふ。又いふに從ひて「いかゞはせむ」とて「眼もこそ二つあれ。ただ一つある鏡をたいまつる」とて海にうちはめつればいとくちをし。さればうちつけに海は鏡のごとなりぬれば、或人のよめるうた、
「ちはやぶる神のこゝろのあるゝ海に鏡を入れてかつ見つるかな」。
いたく住の江の忘草、岸の姬松などいふ神にはあらずかし。目もうつらうつら鏡に神の心をこそは見つれ。檝取の心は神の御心なりけり。
六日、澪標のもとより出でゝ難波につ〈二字のつをイ〉きて河尻に入る。みな人々女おきなひたひに手をあてゝ喜ぶこと二つなし。かの船醉の淡路の島のおほい子、都近くなりぬといふを喜びて、船底より頭をもたげてかくぞいへる、
「いつしかといぶせかりつる難波がた蘆こぎそけて御船きにけり」。
いとおもひの外なる人のいへれば、人々あやしがる。これが中に心ちなやむ船君いたくめでゝ「船醉したうべりし御顏には似ずもあるかな」といひける。
七日、けふは川尻に船入り立ちて漕ぎのぼるに、川の水ひて惱みわずらふ。船ののぼることいと難し。かゝる間に船君の病者もとよりこちごちしき人にて、かうやうの事更に知らざりけり。かゝれども淡路のたうめの歌にめでゝ、みやこぼこりにもやあらむ、からくしてあやしき歌ひねり出せり。そのうたは、
「きときては川のほりえの水をあさみ船も我が身もなづむけふかな」。