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仰せたぶなり。あさぎたの出で來ぬさきに綱手はやひけ」といふ。この詞の歌のやうなるは檝取のおのづからの詞なり。檝取はうつたへにわれ歌のやうなる事いふとにもあらず。聞く人の「あやしく歌めきてもいひつるかな」とて書き出せればげに三十文字あまりなりけり。今日浪なたちそと、人々ひねもすに祈るしるしありて風浪たゝず。今し鷗むれ居てあそぶ所あり。京のちかづくよろこびのあまりにある童のよめる歌、
「いのりくる風間と思ふをあやなくに鷗さへだになみと見ゆらむ」
といひて行く間に、石津といふ所の松原おもしろくて濱邊遠し。又住吉のわたりを漕ぎ行く。ある人の詠める歌、
「今見てぞ身をば知りぬる住のえの松よりさきにわれは經にけり」。
こゝにむかしつ人の母、一日片時もわすれねばよめる、
「住の江に船さしよせよわすれ草しるしありやとつみて行くべく」
となむ。うつたへに忘れなむとにはあらで、戀しき心ちしばしやすめて又も戀ふる力にせむとなるべし。かくいひて眺めつゞくるあひだに、ゆくりなく風吹きてこげどもこげどもしりへしぞきにしぞきてほとほとしくうちはめつべし。檝取のいはく「この住吉の明神は例の神ぞかし。ほしきものぞおはすらむ」とは今めくものか。さて「幣をたてまつり給へ」といふにしたがひてぬさたいまつる。かくたいまつれれどももはら風山で、いや吹きにいや立ちに風浪の危ふければ檝取又いはく「幣には御心のいかねば御船も行かぬなり。猶うれしと思ひ