Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/214

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いぬるものは、いみじうぞにくきかし。月夜にむなぐるまありきたる。淸げなる男のにくげなるめもちたる。髭ぐろににくげなる人の年老いたるが、物がたりする人のちごもてあそびたる。

とのもりづかさこそ猶をかしきものはあれ。下女のきははさばかりうらやましきものはなし。よき人にせさせまほしきわざなり。若くてかたちよく、なりなど常によくてあらむはましてよからむかし。年老いて物の例など知りて、おもなきさましたるもいとつきづきしうめやすし。とのもりづかさの顏あいぎやうづきたらむをもたりて、さうぞく時にしたがひてかぎらぬなど今めかしうてありかせばやとこそ覺ゆれ。男は又ずゐじんこそあめれ。いみじくびゞしくをかしき君達も、ずゐじんなきはいとしらじらし。辨などをかしくよきつかさと思ひたれども、したがさねのしり短くてずゐじんなきぞいとわろきや。

しきの御ざうしの西おもてのたてしとみのもとにて、頭辨〈行成〉の人と物をいと久しく言ひたち給へればさし出でゝ「それはたれぞ」といへば、「辨の內侍なり」とのたまふ。「何かはさも語らひ給ふ。大辨見えばうちすて奉りていなむものを」といへば、いみじく笑ひて「たれかかゝる事をさへ言ひ聞かせけむ。それさなせそと語らふなり」との給ふ。いみじく見えてをかしきすぢなどたてたる事はなくてたゞありなるやうなるを、皆人さのみ知りたるに、猶奧ふかき御心ざまを見知りたれば「おしなべたらず」など御前にも啓し、又さしろしめしたるを「常に女はおのれを悅ぶものゝためにかほづくりす、士はおのれを知れる人のために死ぬとい