Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/215

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ひたる」と言ひ合せつゝ申し給ふ。「とほたあふみの濱やなぎ」などいひかはしてあるに、わかき人々は唯いひにくみ、見苦しき事どもなどつくろはずいふに「この君こそうたて見〈えイ有〉にくけれ。こと人のやうにどきやうし、歌うたひなどもせず、けすさまじ」などそしる。更にこれかれに物いひなどもせず。「女は目はたてざまにつき、男はひたひにおひかゝり、鼻はよこざまにありとも、唯口つきあいぎやうづき、おとがひのした、くびなどをかしげにて、聲にくからざらむ人なむ思はしかるべきとは言ひながら、猶顏のいとにくげなるは心憂し」とのみのたまへば、まいておとがひほそく、あいぎやうおくれたらむ人はあいなうかたきにして御前にさへあしう啓する。物など啓せさせむとても、その始め言ひそめし人をたづね、しもなるをも呼びのぼせ、局にも來ていひ、里なるには文書きてもみづからもおはして「遲く參らばさなむ申したると申しに參らせよ」などのたまふ。「その人の侍ふ」などいひ出づれどさしもうけひかずなどぞおはする。「あるにしたがひ、定めず何事ももてなしたるをこそよき事にはすれ」とうしろみ聞ゆれど、「我がもとの心の本性」とのみのたまひつゝ、「改まらざるものは心なり」とのたまへば「さてはゞかりなしとはいかなる事をいふにか」とあやしがれば、笑ひつゝ「中よしなど人々にもいはるゝ、かうかたらふとならば何か耻づる。見えなどもせよかし」とのたまふをいみじくにくげなれば「さあらむはえ思はじとのたまひしによりて、え見え奉らぬ」といへば「げににくゝもぞなる。さらばな見えそ」とておのづから見つべきをりも顏をふたぎなどして、まことに見給はぬも、まごゝろにそらごとし給はざりけりと思ふ