Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/209

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もとりわきをかし。くすのきは木立多かる所にも殊にまじらひたてらず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましきを、ちえにわかれて戀する人のためしにいはれたるぞ、誰かはかずを知りていひ始めけむとおもふにをかし。ひの木、人ぢかゝらぬものなれどみつ葉よつ葉の殿づくりもをかし。五月に雨の聲まねぶらむもをかし。楓の木、さゝやかなるにも、もえ出でたる梢のあかみておなじかたにさしひろごりたる葉のさま、花もいと物はかなげにてむしなどの枯れたるやうにてをかし。あすはひの木、この世近くも見えきこえず。みたけ〈金峰山〉に詣でゝ歸る人などしかもてありくめる。枝ざしなどのいと手ふれにくげにあらあらしけれど、何の心ありてあすはひの木とつけゝむ、あぢきなきかねごとなりや。誰にたのめたるにかあらむと思ふに知らまほしうをかし。ねずもちの木、ひとなみなみなるべきさまにもあらねど葉のいみじうこまかにちひさきがをかしきなり。あふちの木、山梨の木、椎の木は、ときはぎはいづれもあるを、それしも葉がへせぬためしにいはれたるもをかし。しらかしなどいふもの、ましてみやまぎの中にもいとけどほくて、三位二位のうへのきぬそむる折ばかりぞ葉をだに人の見るめる。めでたき事をかしき事にとり出づべくもあらねど、いつとなく雪の降りたるに見まがへられて、そさのを〈の脫歟〉みことの出雲のくににおはしける御事を思ひて、人丸が詠みたる歌などを見る、いみじうあはれなり。いふ事にてもをりにつけても一ふしあはれともをかしとも聞きおきつる物は、草も木も鳥蟲もおろかにこぞ覺えね。ゆづりはのいみじうふさやかにつやめきたるは、いと靑う淸げなるに思ひかけず似るべくもあらず。くきの赤う