Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/208

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て月ごろある藥玉とりかへてすつめる。又くすだまは菊のをりまであるべきにやあらむ。されどそれは皆いとをひき取りて物ゆひなどしてしばしもなし。御せくまゐり、わかき人々はさうぶのさしぐしさし、ものいみつけなどして、さまざま、唐ぎぬ、かざみ、ながき根をかしきをり枝どもむらごのくみして結びつけなどしたる、珍らしう言ふべきことならねどいとをかし。さて春ごとに咲くとて櫻をよろしう思ふ人やはある。つぢありくわらはべのほどほどにつけてはいみじきわざしたると常に袂をまもり、人に見くらべ、えもいはずけうありと思ひたるを、そばへたるこどねりわらはなどにひきとられて泣くもをかし。紫の紙に、あふちの花、靑き紙にさうぶの葉、ほそうまきてひきゆひ、又白き紙を根にしてゆひたるもをかし。いと長き根など文のなかに入れなどしたる人どもなども、いとえんなる。返り事かゝむと言ひ合せかたらふどちは見せ合せなどするをかし。人のむすめやんごとなき所々に御文聞え給ふ人も、けふは心ことにぞなまめかしうをかしき。夕暮のほどに杜鵑の名のりしたるもすべてをかしういみじ。

     木は

桂、五葉、柳〈柿イ〉、橘。そばの木はしたなき心ちすれども花の木どもちりはてゝ、おしなべたる綠になりたる中に、時もわかず濃き紅葉のつやめきて、思ひかけぬ靑葉の中よりさし出でたる珍らし。まゆみ更にもいはず。その物どもなけれどやどり木といふ名いとあはれなり。榊、臨時の祭御神樂のをりなどいとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前の物といひはじめけむ