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ばなにさまことに咲きてかならず五月五日にあふもをかし。

     池は

勝間田の池、いはれの池。にえのゝ池、初瀨に參りしに水鳥のひまなくたちさわぎしがいとをかしく見えしなり。水なしの池、「あやしうなどてつけゝるならむ」といひしかば、「五月なとすべて雨いたく降らむとする年は、この池に水といふ物なくなむある。又日のいみじく照る年は春のはじめに水なむ多く出づる」といひしなり。むげになくかわきてあらばこそさもつけめ、出づるをりもあるなるを一すぢにつけゝるかなといらへまほしかりし。遠澤の池、釆女の身を投げゝるをきこしめして行幸などありけむこそいみじうめでたけれ。「ねくたれ髮を」と人丸がよみけむほどいふもおろかなり。御まへの池又何の心につけゝるならむとをかし。鏡の池。狹山の池、みくりといふ歌のをかしく覺ゆるにやあらむ。こひぬまの池。原の池、「玉藻はなかりそ」といひけむもをかし。ますだの池。

     せちは

五月にしくはなし。さうぶよもぎなどのかをりあひたるもいみじうをかし。九重の內をはじめていひしらぬ民のすみかまで、いかで我がもとに繁くふかむとふきわたしたる、猶いと珍しくいつかこと折はさはしたりし。空のけしきのくもりわたりたるに、きさいの宮などには縫殿より御藥玉とていろいろの絲をくみさげて參らせたれば、みちやう奉る母屋の柱の左右につけたり。九月九日の菊を綾とすゞしのきぬにつゝみて參らせたる。同じ柱にゆひつけ