Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/202

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とよく似たる。まだ講師ものぼらぬ程にかけばんどもして何にかはあらむ物參るべし。よしちかの中納言の御ありさま、常よりもまさりて淸げにおはするさまぞ限なきや。上達部の御名など書くべきにもあらぬを、誰なりけむと少しほどふれば、色あひはなばなといみじく、にほひあざやかにいづれともなき中のかたびらを、これはまことにたゞ直衣一つを着たるやうにて常に車のかたを見おこせつゝ物などいひおこせ給ふ。をかしと見ぬ人なかりけむを、後にきたる車のひまもなかりければ、池にひき寄せたてたるを見給ひて、實方の君に「人のせうそこつきづきしくいひつべからむもの一人」と召せば、いかなる人にかあらむ、えりてゐておはしたるに「いかゞ言ひ遣るべき」と近く居給へるばかり言ひ合せてやり給はむ事は聞えず。いみじくよそひして車のもとに步みよるをかつは笑ひ給ふ。あとのかたによりていふめり。久しく立てれは歌などよむにやあらむ。兵衞佐「返しおもひまうけよ」など笑ひていつしかかへりごと聞かむと、おとな上達部まで皆そなたざまに見やり給へり。げにけそうの人々まで〈二字イ無〉見やりしも〈五字みるもイ〉をかしうありしを、かへり事きゝたるにや、すこし步みくる程に扇をさし出でゝ呼びかへせば、歌などのもじをいひ過ちてばかりこそ呼びかへさめ、久しかりつる程に、あるべきことかは、猶すべきにもあらじものをとぞ覺えたる。近く參りつゝも心もとなく「いかにいかに」と誰も問ひ給へどもいはず。權中納言〈義懷〉見給へば、そこによりてけしきばみ申す。三位の中將「とくいへ。あまりうしんすぎてしそこなふな」とのたまふに、「これも唯おなじ事になむ侍る」といふは聞ゆ。藤大納言〈爲光〉は人よりもけにのぞきて「いかゞ