Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/194

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にくし。物記などするにさし出でゝ我ひとりさいまくるもの、凡てさし出は童もおとなもいとにくし。昔物語などするに、我が知りたりけるはふと出でゝいひくたしなどするいとにくし。鼠の走りありくいとにくし。あからさまにきたる子どもわらはべをらうたがりて、をかしきものなど取らするにならひて常に來て居入りて、てうどやうち散らしぬるにくし。家にても宮仕ひ所にても逢はでありなむと思ふ人のきたるに、そらねをしたるを我が許にあるものどものおこしよりきては、いぎたなしと思ひ顏にひきゆるがしたるいとにくし。今まゐりのさしこえて物しり顏に、をしへやうなる事いひうしろみたるいとにくし。わが知る人にてあるほどはやう見し女の事譽めいひ出だしなどするも、過ぎてほどへにけれど猶にくし。ましてさしあたりたらむこそ思ひやらるれ。されどそれはさしもあらぬやうもありかし。はなひて誦文する人。大かた家の男しうならでは高くはなひたるものいとにくし。のみもいとにくし。きぬの下にをどりありきてもたぐるやうにするも。又犬のもろ聲に長々となきあげたる、まがまがしくにくし。乳母の男こそあれ、女はされど近くも寄らねばよし。をのこゞをば唯我が物にして、立ちそひりやうじてうしろみ、いさゝかもこの御事にたがふものをばざんし、人をば人とも思ひたらず、あやしけれどこれがとが心に任せていふ人もなければ、所えいみじきおもゝちして事を行ひなどするに。

小一條院をば今內裏とぞいふ。おはします殿は淸凉殿にて、その北なる殿におはします。西東はわたどのにて渡らせ給ふ。常にまうのぼらせ給ふおまへはつぼなれば、前栽などうゑ、