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仰せらるゝも、すゞろに汗あゆる心ちぞしける。若からむ人はさもえ書くまじき事のさまにやとぞ覺ゆる。れい〈はイ有〉いとよく書く人もあいなく皆つゝまれて書き汚しなどしたるもあり。古今のさうしを御まへに置かせ給ひて、歌どものもとを仰せられて「これが末はいかに」と仰せらるゝに、すべて夜晝心にかゝりて覺ゆるもあり。げによく覺えず、申し出でられぬことはいかなることぞ。宰相の君ぞ十ばかり。それも覺ゆるかは。まいて五つ六つなどは唯覺えぬよしをぞけいすべけれど「さやはけにくゝ、仰せ事をはえなくもてなすべき」といひ、口をしがるもをかし。知ると申す人なきをばやがて詠み續けさせ給ふを「さてこれは皆知りたることぞかし。などかくつたなくはあるぞ」といひ歎く。「中にも古今あまた書き寫しなどする人は皆覺えぬべきことぞかし。村上の御時、宣耀殿の女御〈芳子〉と聞えけるは、小一條の左大臣殿〈師尹〉の御むすめにおはしましければ、誰かは知り聞えざらむ。まだ姬君におはしける時、ちゝおとゞの敎へ聞えさせ給ひけるは、一つには御手を習ひ給へ。次にはきんの御琴を、いかで人にひきまさむとおぼせ。さて古今の歌二十卷を皆うかべさせ給はむを、御學問にはせさせ給へとなむ聞えさせ給ひけると、きこしめしおかせ給ひて御ものいみなりける日、古今をかくしてもて渡らせ給ひて、例ならず御几帳をひきたてさせ給ひければ、女御あやしとおぼしけるに、御草紙をひろげさせたまひて、その年その月、なにのをりその人の詠みたる歌はいかにと問ひきこえさせたまふに、かうなりと心得させたまふもをかしきものゝひがおぼえもし、忘れたるなどもあらばいみじかるべき事とわりなくおぼし亂れぬべし。そのかたおぼめ