Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/182

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して止みぬる。つとめて御けづりぐしに參り御てうづまゐりて御鏡もたせて御覽ずれば、侍ふに、犬の柱のもとについ居たるを「あはれきのふおきなまろをいみじう打ちしかな。死にけむこそ悲しけれ。何の身にかこのたびはなりぬらむ。いかにわびしき心ちしけむ」とうちいふほどに、このねたる犬ふるひわなゝきて淚をたゞ落しにおとす。いとあさまし。さはこれおきなまろにこそありけれ、よべは隱れ忍びてあるなりけりと、あはれにてをかしきことかぎりなし。御鏡をもうちおきて「さはおきなまろ」といふに、ひれ伏していみじくなく。御前〈中宮〉にもうち笑はせ給ふ。人々參り集りて、右近內侍めして、かくなど仰せらるれば、笑ひのゝしるを、うへ〈一條院〉にもきこしめして、渡らせおはしまして「あさましう犬などもかゝる心あるものなりけり」と笑はせ給ふ。うへの女房たちなども聞きに參り集りて呼ぶにも今ぞ立ちうごく。猶かほなど腫れためり。「物てうぜさせばや」といへば「つひにいひあらはしつる」など笑はせ給ふに、忠隆聞きて臺盤所のかたより「まことにや侍らむ。かれ見侍らむ」といひたれば「あなゆゝし。さるものなし」といはすれば、「さりとも終に見つくるをりも侍らむ、さのみもえかくさせ給はじ」といふなり。さてのちかしこまりかうじゆるされてもとのやうになりにき。猶あはれがられて、ふるひなき出でたりし程こそ世にしらずをかしくあはれなりしか。人々にもいはれてなきなどす。

正月一日、三月一日はいとうらゝかなる。五月五日はくもりくらしたる。七月七日はくもり、夕がたは晴れたる空に月いとあかく、星のすがた見えたる。九月九日はあかつきがたより雨