Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/181

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む。いとうしろへ〈めカ〉たし」と仰せらるれば、かしこまりて御前にも出でず。犬は狩り出でゝ瀧口などして追ひつかはしつ。「あはれいみじくゆるぎありきつるものを、三月三日に頭の辨、柳のかづらをせさせ桃の花かざしにさゝせ、櫻こしにさゝせなどしてありかせ給ひしをり、かゝる目見むとはおもひかけゝむや」とあはれがる。「おものゝ折はかならず向ひさぶらふに、さうざうしくこそあれ」などいひて三四日になりぬ。ひるつかた、犬のいみじく泣く聲のすれば、なにぞの犬のかく久しくなくにかあらむと聞くに、萬の犬どもはしり騷ぎとぶらひに行き、みかはやうどなるもの走り來て「あないみじ。犬を藏人二人して打ちたまひ、死ぬべし。流させ給ひけるが歸り參りたるとてちようじ給ふ」といふ。「心うのことや。おきなまろなり。忠隆さねふさなむ打つ」といへば、せいしに遣るほどに辛うじてなき止みぬ。「死にければ門のほかにひき棄てつ」といへば,あはれがりなどする。夕つかたいみじげに腫れ、あさましげなる犬のわびしげなるがわなゝきありけば「あはれまろか。かゝる犬やはこのごろは見ゆる」などいふに、「おきなまろ」と呼べど、みゝにも聞き入れず。「それぞ」といひ、「あらず」といひ、口々申せば「右近ぞ見知りたる。呼べ」とて、しもなるをまづとみのことゝて召せば參りたり。「これはおきなまろか」と見せさせ給ふに、「似て侍れどもこれはゆゝしげにこそ侍るめれ。又おきなまろと呼べば悅びてまうでくるものを、呼べど寄りこず。あらぬなめり。それは打ち殺して棄て侍りぬとこそ申しつれ。さるものどもの二人して打たむには生きなむや」と申せば、心うがらせ給ふ。暗うなりて物くはせたれどくはねば、あらぬものにいひな