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粟田野見て歸り給ふとて、

 「花薄招きもやまぬやまざとにこゝろのかぎりとゞめつるかな」。

故爲雅朝臣、普門寺に千部の經供養するにおはして歸り給ふに、小野殿の花いとおもしろかりければ、車引き入れて歸り給ふに、

 「たきゞこることは昨日につきにしをいざをのゝえはこゝにくたさむ」。

駒くらべのまけわざとおぼしくて白銀のこりわりか〈そりわりこイ〉をして院に奉らむとし給ふに、この歌〈かゝ脫歟〉むとて攝政殿〈兼家〉より歌聞えさせ給へりければ、

 「千代もへよたちかへりつゝ山城のこまにくらべしこりの末なり」。

繪の所に、山里にながめたる女あり。時鳥鳴くに、

 「都びとねてまつらめやほとゝぎすいまぞ山べを鳴きて過ぐなり〈如元〉」。

この歌は寬和二年の歌合にあり。法師舟に乘りたる所、

 「渡つ海はあまの舟こそありと聞け乘りたがへても漕ぎてけるかな」。

殿〈兼家〉かれ給ひて後、「通ふ人あべし」など聞え給ひければ、

 「いざ〈まイ〉さらは〈にイ〉いかなるこまかなつくべきすさめぬ草とのがれにし身を」。

歌合に卯の花、

 「卯の花の盛なるべしやまざとのころもさぼせるをりと見ゆるは」。

時鳥、