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びたびかゝれば、〈あ脫歟〉やしう思ひて、「こゝにはもよほし聞ゆるにはあらず。いとうるさく侍れば、すべてこゝにはの給ふまじきことなりと、物し侍るを、なほう〈ぞイ〉あめれば、見給へ餘りてなむ。さてなでふことにも侍るかな。

  今更にいかなるこまかなつくべきすさめぬ草とのがれせぬ身を。

あなまばゆ」とものしけり。かうの君、猶この月の內には賴みをかけて責む。この頃例の年にも似ず。郭公たちおとをしてといふばかりに鳴くと聞くにもかく文の端つかたに、例ならぬ郭公の音なひにも、安き空なく思ふべかめれ〈どイ有〉、かしこまりを、甚だしうおきたれば、つやゝかなることはものせざりけり。すけ、うまぶねしばしと借りけるを、例の文のはしに、「佐の君に異ならずば、うまぶねなしと聞えさせ給へ」とあり。かへりごとにも「うまぶねはたてたる所ありて覺えずなれば、給ふらむに煩し〈くイ有〉はか〈二字侍るイ〉」なんど物したれば、立ち歸りて「たてたる所はべなるふねは、今日明日の程に埒ふすべき所ほしげになむ」とぞある。かくて月果てぬれば、遙になり果てぬるに、おもひうじぬるにやあらむ、音なうて月立ちぬ。四日に雨いといたう降るほどに、すけの許に、「あまゝ侍らば立ち寄らせ給へ。聞えさすべき事なむある。うへには身の宿世の思ひ知られ侍りて、聞えさせずと執り申させ給へ」とあり。かくのみ呼びつるは、何ごとゝいふこともなくて、戯れつゝぞ歸しける。今日かゝる雨にもさはらで、同じ所なる人〈とイ有〉ものへまうでつ。障ることもなきにと思ひて出でたれば、ある者「女かみには、きぬ縫ひて奉るこそよかなれ。さし給へ」と、寄り來てさゝめけば、「いで試みむかし」と