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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/152

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〈一字あしイ〉かり」などおり立ちてわびいりたれば、いとなつかしさに、「猶いとわりなきことなりや。院にうちになど侍ひ給ふらむ。晝間のやうに思しなせ」などいへば、その事の心は苦しうこそはあれ。とにすわりてこたふるにいといふかひなし。いらへわづらひて、はては物もいはねば「あなかしこ、御けしきも惡しうはべめり。さらば今は仰事なからむには聞えさせじ。いとかしこく」とて、つまはじきうちして、ものもいはで暫しありて起ちぬ。出づるに「まつ」などいはすれど、「更にとら〈二字おとイ〉せで」なんど聞くに、いとほしくなりて、又つとめて、「いとあやにくに、まつとものたまはせで、歸らせ給ひ〈如元〉めりしは、たひらかにや」と聞えさせになむ。

 「ほとゝぎすまた問ふべくも語らはでかへる山路のこぐらかりけむ

こそいとほしう」と書きて物したり。さし置きてな〈けイ〉れば、かれより、

 「問ふこゑはいつとなけれど郭公あけてくやしきものをこそ思へ

といたうかしこまりうけ給はりぬ」とのみあり。さゝ〈二字きくイ〉ねりても、又の日、「佐の君今日人々のがりものせむとするを、もろともにつかさにと聞えになむ」としとし〈四字とてかイ〉ごとにものしたり。例の硯こへば紙おきて出したり。入れて〈三字書きて入れ〉たるを見れば、恠しうわなゝきたる手にて「昔の世に如何なる罪を作くり侍りて、かう妨げさせ給ふ身となり侍りけむ。あやしきさまにのみなりまどひ侍るは、なり侍らむことも、いと難し。さらにさらに聞えさせじ。今は高き峰になむのぼり侍るべき」などふさに書きたり。かへりごと「あな怖ろしや。などかうはのたまはすらむ。恨み聞え給ふべき人はことにこそはべめれ。峰は知り侍らず。谷のしるべはし