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〈つる以下十一字流本無〉きてはいとゞ遙になりなむ」とて、いらへてとばかり佐と物語して、立ちて硯紙とこひたり。出したれば、かきておしひねりて入れていぬ。見れば、

 「契りおきし卯月はいかに時鳥我が身のうきにかけ離れつゝ。

いかにし侍らまし。くしいたくこそ。暮にを」と書きたり。手もいとはべり〈三字につかはイ〉しげなりや。返りごとやがて追ひて書く、

 「なほ忍べ花橘の枝やなきあふひ過ぎぬる卯月なれども」。

さてその日頃えらび設けつる、廿二日の夜ものしたり。こたみは、さきざきのさまにもあらず、いとつゞやかになりまさりたるものから、責むるさまいとわりなし。「殿の御許されは道なくなりにたり。その程はるかに覺え侍るを、御かへりみにて〈はイ有〉〈かイ有〉でとなむ」とあれば「いかに思してかうはのたまふ。その遙なりとの給ふ程にや、うひごとゞもせむとなむ見ゆる」といへば「かひなきほども、物語はするは」といふ。「これはいとさにはあらず。あやにくにおもぎらひするほどなればこそ」などいふも、聞き分かぬやうにいとわびしく見えたり。「むね走るまで覺え侍るを、このみすの內にだにさぶらふと思ひ給へてまかでむ。一つ一つをだに、爲すことにし侍らむ。かへりみさせ給へ」といひて、すだれに手をかくれば、いとけうとけれど聞きも入れぬやうにて、「いたう更けぬらむを、例はさしも覺え給ふ夜になむある」と、つれもなういへば、「いとかうは思ひきこえさせずこそありつれ。あさましう、いみじう、限りなううれ〈はイ有〉しと思ひ給ふべし。御曆もちて〈二字ぢくイ〉元になりぬ。わるく聞えさする御氣色も