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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/142

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まゝに八月廿日餘まで〈見えたり以下十八字流布本無〉見えず。聞けば例の所に繁くなむと聞く。移りにけりと思ふ。から〈くイ〉うつし心もなくてのみあるに、住む所はいよいよ荒れ行くを、〈ひイ有〉とすくなにもありしかば、人にものして、我がすて〈むイ〉所にあらせむといふ事を、我が賴む人定めて、今日明日ひ〈むイ〉えはた〈たイ無〉中川の程に渡りぬべし、さべしとは、さきざきほのめかしたれど、今日などもなくてやはとて、聞えさすべきことものしたれど「つゝしむことありてなむ」とてつれもければ、なにかはとて、音もせで渡りぬ。山近う河原かたかき〈げイ〉なる所に、今は心のほしきに入りたれば、いとあはれなる住ひと覺ゆ。二三日になりぬれど、知りげもなし。五六日ばかり、「さりけるを吿げざりける」とばかりあり。かへりごとに「さなむとは吿げ聞ゆ〈べしイ有〉となむおもひし。いとびなき所にはたかたう〈四字ありたまふとイ〉覺えしかばなむ、見給ひなれにし所にて今一たび聞ゆべくは思ひし」など絕えたるさまにものしつ。「さもこそはあらめ、びなかなればなむ」とて、跡を斷ちたり。九月になりて、まだしきに、格子を上げて見出したれば、內なるにも、となるにも、川霧立ち渡りて、麓も見えぬ山の見やられたるもいと物悲しうて、

 「流れてのとこ〈と脫歟〉賴みてこしかども我が中川はあせにけらしも」とぞいはれける。ひんがしのかどの前なる田ども苅りてゆひわたしてかけたり。たまさかにも見え問ふひとには、靑稻苅らせて馬に飼ひ、やいごめ〈せイ有〉させなどするわざにおりたちてあり。こだかの人もあれば、たかどもとに立ち出でゝ遊ぶ。例の所に驚かしにやるめり。

 「さごろものつまも結ばぬ玉の緖の絕えみ絕えずみ世をや結ばむ」。