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「霜だにもおかぬかたぞといふなれど浪の中にはゆきぞ降りける」。
さて船に乘りし日よりけふまでに廿日あまり五日になりにけり。
十七日、曇れる雲なくなりて曉月夜いとおもしろければ、船を出して漕ぎ行く。このあひだに雲のうへも海の底も同じ如くになむありける。うべも昔のをのこは「棹は穿つ波の上の月を。船は襲ふ海のうちの空を」とはいひけむ。きゝされに聞けるなり。又ある人のよめる歌、
「みなそこの月のうへより漕ぐふねの棹にさはるは桂なるら〈べイ〉し」。
これを聞きてある人の又よめる、
「かげ見れば浪の底なるひさかたの空こぎわたるわれぞさびしき」。
かくいふあひだに夜やうやく明けゆくに、檝取等「黑き雲にはかに出できぬ。風も吹きぬべし。御船返してむ」といひてかへる。このあひだに雨ふりぬ。いとわびし。
十八日、猶同じ所にあり。海あらければ船いださず。この泊遠く見れども近く見れどもいとおもしろし。かゝれども苦しければ何事もおもほえず。男どちは心やりにやあらむ、からうたなどいふべし。船もいださでいたづらなればある人の詠める、
「いそぶりの寄する磯には年月をいつとも分かぬ雪のみぞふる」
この歌は常にせぬ人のごとなり。又人のよめる、
「風による浪のいそにはうぐひすも春もえしらぬ花のみぞ咲く」。
この歌どもを少しよろしと聞きて、船のをさしける翁、月頃の苦しき心やりに詠める、