Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/129

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かし」といふいふうち臥して、「宵より參りこまほしうてありつるを、をのこどもゝ皆罷りてにげにければえものせで。昔ならましかば馬に這ひ乘りても、物しなまし。なでふ身にはあらむ。何ばかりの事あらばかとてきなむやなど思ひつゝ寐にし〈し衍歟〉けるを、かうのゝしりつれば、いとをかし。怪しうこそありつれ」など志ありげにありけり。明けぬれば車などことやうならむとて急ぎ歸られぬ。六七日物忌と聞く。八日雨降る。よるに〈まイ〉で石の上の苔苦しげに聞えたり。十日、加茂へ詣うづ。「忍びて諸共に」といふ人あれば「何かは」とて詣でたり。いつも珍しき心ちする所なれば今日も心のばゐ〈ゆるイ〉心ちあらたるべしなどするも、かうし〈のイ有〉びけるはと見ゆらむ。さきの通りに北野にものすれば、さへ〈はイ〉にもの摘む女わらはべなどもあり。うちつけにゑぐ摘むかと思へば、裳裾思ひやられてけり。ふるおり〈四字ふなをかイ〉うちめぐりなどするもいとをかし。くらう家に歸りて、うち寢たるほどに、かどいちはやくたゝく。胸うちつぶれて覺めたれば、思ひのほかにさなりけり。心の鬼は、若しこゝちかき所に隙ありて歸されてにやあらむと思ふに、人はさりげなけれど、うち解けずこそ思ひあかしけれ。つとめて、少し日たけて歸る。さて五六日ばかりあり。十六日、雨の脚いと心細し。明くれば、このぬる程に、こまやかなる文見ゆ。「今日は方ふたがりたりければなむ。いかゞせむ」などあべし。返り事物してとばかりあればみづからなり。日も暮れ方なるをあやしと思ひけむかし。よに入りて「いかにみてぐらをや奉らまし」など休らひの氣色あれど「いとやうない事なり」などそゝのかし出す。步み出づるほどに、あひなうよる〈かイ〉ずにはしもせじとす」と、忍びやかにいふを聞