Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/119

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などして、大夫〈道綱〉さうぞかせて出し立つ。おりはしりてやがて拜するを見れば、いとゆく〈うイ〉しう覺えて淚ぐまし。行ひもせばやと思ふ今宵よりふざうなる事あるべし。これ人忌むといふ事なるを、又いかなるとてにかと心一つに思ふ。今年は天下ににくき人ありとも思ひなほらじなどしめりて思へばいと心安し。三日は帝の御かうぶりとて世は騷ぐ。白馬やなどいへども心ちすさまじうて七日も過ぎぬ。八日ばかりに見えたる人、「いみじう節會がちなる頃にて」などあり。つとめて歸るに、しばし立ちとまりたる、をのこどものなかより、かく書きつけて、女房の中に入れたり、

 「しもつけや桶のふたく〈らイ〉をあぢきなきかげもうかばぬ鏡とぞ見る」。

そのふたに、酒くだものと入れて出す。土器に女房、

 「さし出でたるふたく〈らイ〉を見れば身を捨てゝこのむは玉のこぬと定めつ」。

かくてなかなかなる身のひまなきにつゝみて、世の人々のさり〈もイ〉て行ひもせで二七日は過ぎぬ。十四日ばかりに、「古きうへのきぬ、これいとようして」などいひてあり。「着るべき日は」などあれど、いそぎも思はであるに、使のつとめて「おそか〈か衍歟〉し」とあるに、

 「久しとはおぼつかなしやからごろもうち着てなれむさて贈らせよ」

とあるに、違ひてこれより文もなくてものしたれば、「これからよろしかめり。き〈よイ〉をならぬがわろさ」とよ〈一字ばかイ〉りあり。ねたさにかくものしけり、

 「わびて又とくと騷げどかひなくて程經る物はかくこそありけれ」