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たふたがる。あさてよりは物忌なり〈どカ〉すべかめれば」など、いとことよし。やりつる人はちがひぬらむと思ふにいとめやすし。夜のまに雨止みにためれば「さらばくれに」など〈いひイ有〉て歸りぬ。方ふたがりたればうべもなく待つに見えずなりぬ。「夜べは人の物したりし〈夜べ以下十一字流布本無〉、夜の更けにしかば經など讀ませてなむとまりにし。例の如何におぼしけむ」などあり。山籠りの後は、あまがへるといふ名を付けられたりければ、かくものしけり、「こなたざまならでは、方も」などけ〈一字なげかイ〉しくて、

 「大はこの神の助やなかりけむちぎりしことをおもひかへるは」

とやうにて、例の日過ぎてつごもりになりにたり。「忌の所になむ夜每に」と吿ぐる人あれば、心安くてあり經るに、月日はさながらおにやらひ來ぬるとあれば、あさましあさましと思ひはつるもいみじきに、人はわらはおとなともいはず、なやらふなやらふと騷ぎのゝしるを、我のみのどかにて見聞けば、今年も心ちよげならむ所の限せまほしげなるわざにぞ見えける。雪なむいみじう降るといふなり。年のをはりには何事につけても、思ひのこさゞりけむかし。


蜻蛉日記卷下

かくて又明けぬれば、天祿三年に〈とイ〉いふめり。今年も、憂きもつらきも共に心ち晴れておぼえ