Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/117

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すべて世にふる事、かひなくあぢきなき心ちいとする頃なり。さながら明け暮れて、廿〈日イ有〉になりにたり。明くれば〈おきくるればイ有〉臥すを事にてあるぞいと怪しく覺ゆれどいかゞせむ。けさも見出したれば、屋の上の霜もいと白し。わらはべよべの姿ながらしもくちまじなはむとて騷ぐもいと哀なり。「あな、さも雪はづかしき霜かな」と口おほ〈ひ脫歟〉しつゝかゝるみれ〈のカ〉賴むべきもると〈四字かめる人イ〉どものうち聞えける、たゞならずなむおぼえける〈たゞ以下十二字イ無〉。神無月も、せちに別〈をイ有〉しみつゝ過ぎぬ。霜月も同じ事にて、二十日になりにければ、今日見えたりし人、そのまゝに、廿よ日跡を斷ちて、文のみぞ二度ばかり見えける。かうのみ胸安からねど思ひつきにたれば心弱き心ちして、ともかくもおぼえで、八日ばかりの物忌しきりつゝなむ、唯今日だにこそ思ふなどあやしきまでこまかなる。はての月の十日六日ばかりなり、しばしありて俄にかい曇りて雨になりぬ。たう〈二字雨しぐイ〉るゝかた〈らイ〉ならむかしと思ひ出でゝながむるに、暮れ行く氣色なり。いといたく降ればさはらむにもことわりなれば、昔はとばかり覺ゆるに、淚の浮びて哀に物のおぼゆれば念じ難くて人出し立つ。

 「かなしくも思ひ絕ゆるかいそのかみさはらぬものとならひしものを」

と書きて、今ぞいくらむと思ふほどに、南おもての格子もあげぬ。とに人のけおぼゆ。人はえ知らず、我のみぞあやしと覺ゆるに、妻戶押し明けて〈兼家〉ふと這ひ入りたり。いみじき雨のさかりなれば音もえ聞えぬなりけり。とに「御車とくさし入れよ」などのゝしるも聞ゆ。「などしも月〈頃イ有〉のよ〈かイ〉うじなりとも、今日の參りにはゆるされなむとぞ覺ゆるよし多し。明日はあな