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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/116

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らむとてなるべし、つとめてはかへりあるじの近くなりたればなどつきづきしういひなしつ。あしたのかごとがちになりにたるも、今更にと思へば悲しうなむ。』八月といふは明日になりにためれば、それより四日例の物忌とかあきて二度ばかり見えたり。かへりあるじははてゝ、いと深き山寺に修行せさすとてなどきて〈くイ〉。三四日になりぬれど音なくて雨いといたく降る日、「心細げなる山住は人とふものとこそ聞きしか。さらぬは、つらき物といふ人もあり」とある。返りごとに「聞ゆべきものとは、人より先に思ひよりながら、〈つらきイ有〉物と知らせむとてなむ露よりながらものと知せむとてなむ〈露より以下十六字衍歟〉。露けさはなかりしもあらじと思う給ふれば、よその雲むら〈三字村雲イ〉もあいなくなむ」とものしけり。又も立ちかへりなどあり。さて三日ばかりの程に、「今日なむ」とてようさり見えな〈たイ〉り。常にしもいかなる心の、え思ひあへずなりにたれば、我らつれなければ人はた罪もなきやうにて七八日の程にぞ僅に通ひたる。』長月のつごもりいと哀なる空のけしきなり。まして昨日今日風いと烈しく、時雨うちしつゝ、いみじく物哀に覺えたり。遠山を眺めやれば、こんざうを塗りたるとやいふやうにて、霰降るらしとも見えたり。「野のさまいかにをかしからむ。見がてら物に詣でばや」といへば、前なる人「げにいかにめでたからむ。初瀨にこの度は忍びたるやうにて、おぼし立てよかし」などいへば、「こぞも試みむとていみじげにて詣でたりしに、石山の御心をまづ見果てゝ、春つ方さも物せむ。そもそもさまでやは。猶うくて命あらむ」など、心細うていはる。

 「袖ひづる時をだにこそなげきしか身さへ時雨のふりも行くかな」。