Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/109

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人々同じ事どもを物したるに、いとあやしき事にもあるかな、いかにせむ、こたみは世にしぶらすべくも物せじと思ひ騷ぐ程に、我が賴む人、物よに〈りイ〉たゞ今のぼりけるまゝに來て、天下の事語らひて「げにかくてもしばし行はれよと思ひつるを、を〈をイ無〉この君いと口惜しうなり給ひにけり。はや猶物しね。けふも日ならば諸共にものしね。今日も明日も迎へに參らむ」など、うたがひもなくいはるゝに、いと力なくおもひわづらひぬ。釣するあまのうけばかり、思ひ亂るゝにのゝしりて物に似ぬ。さなめりと思ふに心ち惑ひたちぬ。こたみはつゝむに〈こイ〉となく、さし步みて、たゞ入りに入れば、侘びて儿帳ばかりを引き寄せて、はく〈たイ〉かくるれど何のかひなし。かうもりすゑすゝれきあげへ〈七字みすまきあげ經イ〉うち置きなどして〈たるイ〉を見て「あな恐ろし。いとかくは思ひ〈はカ〉ずこそありつれ。いみじくけうとくてもおはしけるかな。もし出で給ひぬべくやと思ひてまうで來つれどかへりては罪得べかめり。いかに大夫、かくてのみあるをばいかゞ思ふ」と問へば、「いと苦しう侍れどいかゞは」とうちうつぶして居たれば、「あはれ」とうちいひいひて、「さらばともかくも、きむぢが心〈にイ有〉、出で給ひぬべく〈ばイ有〉車寄せさせよ」といひも果てぬに、立ち走りて散りかひたる物ども唯取りに包み、袋に入るべきは入れて車どもに皆入れさせ、引きたるぜさうなども放ち、たくり〈一字はへイ〉たる者ども、みしみしと取り拂ふ。ふり拂ふに、こゝちはあきれて、あれか人かにてあれば、人は目をくち〈はイ〉せいとよくゑみてまは〈ぼカ〉り居たるべし。「このことかくすれば出で給ひぬべきにこそはあめれ。佛にことのよし申し給へ。例の作法なる」とて、天下のさるがうことをいひのゝしらるめれど、ゆめに物もいはれ