Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/108

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たる」といひ入れてき蔭に立り〈ちイ〉やすらふさま、きやう覺えてひとをかしかめり。このことばゝ後にといひし人ものぼりあればそれに猶しもあらぬやうにあれば〈それになほしもあらぬやうにあれば十六字原本重複恐衍〉いたく氣色ばみ立てり。「返り事はいと嬉しきみ名なるを、早く此方に入り給へ。さきざきの御不しやうはいかで事無かるべく祈り聞えむ」と物したれば、步み出でゝ高欄におしかゝりて、まづてうづなどものしてゐ〈一字入りイ〉たり。萬の事どもいひもてゆくに「昔こゝは見給ひしは、覺えさせ給ふや」と問へば、「いかゞは。いとたしかにおぼえて、今こそかく疎くても候へ」などいふを思ひまはせば、物もいひさして聲かはるこゝちすれば、暫しためらへば、人もいみじと思ひて、とは〈みイ〉に物もいはず。さて「御こゑなどかはらせ給ふなるは〈いとかはらせたまふなるは十二字原本有恐衍〉いとことわりにはあれど、更にかくおぼさじ。世にかくて止み給ふやうはあらじなど、ひがざまに思ひなしてにやあらむ」〈と脫歟〉いふ。「かく參らば、よく聞え合せよなどのたまひつる」といへば「などか人のさはのたまはすとも、今に入りなむ」などいへば〈などか以下廿五字流布本無〉、さらば同じくは今日出でさせ給へ。やがて御供仕うまつらむ。まづはこの大夫のまれまれ京に物しては日だに〈か脫歟〉たぶけば山寺へと急ぐを見給ふるに、いとなむゆゝしき心ちし侍る」などいへど、氣色もなければ、しばしやすらひて歸りぬ。かくのみ出で煩ひつゝ人もとぶらひつきぬれば、又は問ふべき人もなしとぞ心のうちに覺ゆる。さて經るほどに、京のこれ〈かれイ有〉の許より、文どもあり。見れば、「今日殿〈兼家〉おはしますべきやうになむ聞く。に〈こイ〉たみさへおりずば、いとつく〈べイ〉たましきさまになむ世の人も思はむ。又はた、世に物し給はじ。さらむ後に物したらむ、いかゞ人笑へならむ」と