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世の中はおもひの外になるたきのふかき山路をたれ知らせけむ」
など、すべてさし向ひたらむやうに、こまやかに書きたり。鳴瀧といふぞこの前より行く水なりける。返りごとも思ひゐたるかぎり物して、「たづねたまへりしも、げにいかでと思う給へりし」とて〈たまへり以下二十字流本無〉、
「物おもひの深さくらべに來て見れば夏のしげりも物ならなくに〈道綱母〉。
まかでむ事は、いつともなけれど、かくのたまふ事なむ、思う給へ煩ひぬべければ、
身ひとつのかくなる瀧を尋ぬればさらにかへらぬ水もすみけり
と見ればためしある心ちしてなむ」などものしつ。又ないしのかんの殿〈貞觀殿登子〉よりとて賜へる御かヘりに、心細くかきかきて、うはぶみに「西山より」といる〈ひイ〉たるを、いかゞ思しけむ、又ある御かへりに、「鳥羽のおほさとより」とあるを、いとをかしと思ひけむも、いかなる心々に持たるにかありけむ。かくしつゝ日頃になり、詠めまさるに、ある修行者、御嶽より熊野へ大峯通りに越えけるがごとなるべし、
「外山だにかゝりけるをとしら雲のふかき心は知るも知らぬも」
とて落したりけり。かくなんと見つゝ經る程に、ある人晝つ方、大門の方に馬のいなゝく聲して、人のあまたあるけはひしたり。木のまより見通しやりたれば、姿なほ人あまた見えて、步み步みあるへ〈三字來るありイ〉。中に關白殿〈伊尹〉のともえのすけ〈六字兵衞佐イ〉と申しけるとかやなめりと思へば、大夫〈道綱〉よりか〈三字よびイ〉出して、「今まで聞えさせつ〈ざイ〉りつるかしこまり、取り重ねてとてなむ參り來